三連動地震 迫る

3月11日の東日本太平洋沖地震、私たち、地震学を取り組む者が地震災害について、いかに接してきたか顧みる機会を与えてくれた。まさに二万人の犠牲者に見つめられている。一方、私たちは南海トラフで次に発生する東海・東南海・南海地震から逃げることはできない。この超巨大地震にいかに対応するか。そんな思いで「三連動地震 迫る」を書きました。

 お詫びと訂正

本書で間違った記述がありました。お詫びして、以下の下線のように訂正します。

<訂正>

P155 11行 八丈島でも西海岸で四〇人近い人が水死しています。

232 3行 八丈島では慶長地震の津波で三七人が亡くなり

   (以上2点:指摘いただいた八丈島の林冬人さんに感謝)

読んだ人からの感想など

■厳しい社会状況のなかでいかに大地震に備えるか

 著作の大地震の年表を見ても、平成に入ってから毎年のように大地震がどこかで起きており、明らかに日本列島は地震の活動期の真っ最中であると思われます。それだけ、三連動地震の確率も高まっていると思われます。

 こうゆう状況の中でも気象庁は多くの測候所を廃止し、市町村合併により職員は減り、ますます大きな被害を起こしてしまう状況が放置されています。大震法の問題点もよく分かりました。外から見ていると、なんとなく予知できるのではとある種の期待が存在しています。実際は予知は非常に困難ということですね。その現実の中でいかに大地震に備えるかがいま鋭く問われているということでしょう。

 話は変わりますが、私もGPS観測で測量をやっておりますが、地震のあと、基準点が移動し、岐阜県はデータが閉鎖されました。現在座標変換がされようとしています。こんなところまで地震の影響がでていることは、先の地震がいかに大きな者であったか痛感させられます。(桑原さん、大学の後輩で測量事務所を経営)

■ 浅間山噴火では代官が被災者の結婚を奨励

 貴書中のスマトラ地震、バンダアチェにおける’やもめ7同士の結婚は、1783年浅間山噴火後の鎌原部落で行われたことを思い出します。部落存続のために当時の代官が命じて、やもめ同士を結びつけたようで、いまでも同部落(いまでは北軽井沢)で噴火の命日に歌われる和讃にはそのことが歌われます。また、明治三陸地震津波の被災地では、復興の過程でそのようなことが行われたと’津波と村’(山口弥一郎著)にもほのめかされています。当時の日本では、祖先の祭しのための家(家名)の保存がかなり重要とされていたと思われます。今回の東日本大震災でも、そのような事例がおきないとはいえませんね。これは民俗学の領域でしょう。

 3月11日の地震発生時には小生、我が家にいましたが、長い間揺られながら願っていました’逃げてくれ、逃げてくれ’。東北の三陸沿岸の人たちの行動を祈っていました。その結果の無力感は察してください。良く整備された田畑を覆って行ったあの黒い津波をテレビの画面で眺めながら、異様な心理状態に陥る自分を感じていました。

 災害を防止する、減災する、言葉では簡単です。しかし、その気を持たない一般の人々を災害防止に目覚めさせるには、気長に機械をみては話し合い説得してゆく努力を惜しんではならない。これは長年の経験から小生の身についた心情です。しかし、大変なことです。続けていくのは、本当につらいことです。(宮崎 努さん、東京大学で長年にわたり火山観測に従事)

■ 海に向かって 本のなかで紹介できなかった全文を(詩・笠木 透)

わたしは ひとり 海に向かって 立っているのです
海の風に 吹かれながら 立ちつくして いるのです

   あふれる思いを とめようもありません
   何が 私に出来ると言うのでしょうか

わたしは ひとり 海に向かって 立っているのです
海の風に 吹かれながら 立ちつくして いるのです

   こわれる世界を とめようも ありません
   分かって いるのにどうにも 出来ないのです

わたしは ひとり 海に向かって 立っているのです
海の風に 吹かれながら立ちつくして いるのです

   流れる 涙をとめようも ありません
   それでも それでも せいいっぱい 生きたいのです

   それでも それでも せいいっぱい 生きたいのです

■三連動の強調は少年の二の舞の恐れ

 日本海中部地震の命名の件,気象庁の最初の震央は本当に日本海中部の区域内です.高木さんによれば,東北大のデータを知らせたら,気象庁は一気に海岸近くにもってくるのをはばかり,徐々に震央を動かしたとという話を2,3回は聞かされました.

 それからもう一つ,むかし,宇津さんが「東海地震よりは別の大地震の方が先ではないか」とぼやいていたことを思い出しました.次は三連動という印象を与え過ぎますと,狼少年の二の舞になると懸念しています.地震史からすれば内陸地震多発の可能性を忘れるわけにはいかないと思います.

 それにしても,東電は大きな嘘をいったものですね,津波被害は想定外としても,原発周辺の設備は砂上の楼閣であったことを昔の航空写真で突き止めました.それでも対策は万全とは,ようも言ったものです.ああいう会社は潰して,株主には全て終わり悟らせる仕組みができないと,これ以上原発をサポートする気にはなりません.(青木治三さん、東海地震が提起されたとき名古屋大学から出ていた地震予知連絡会委員)

■第一印象は、読みやすかったです

専門的な内容を抵抗なく読み取ることができました。

現場で長年かかわった研究者でしか書けない思いが大変良く伝わって来る内容でした。
また、専門用語にとどまらない脚注は読み手には大変ありがたかったです。(同級生で高校の先生だった加納明彦さん)

■ほどよい熱さでよかった
 最後のところは少々違う意見です。少人数の測候所が使命感をもって仕事をすることが無理になっていたように感じていました。そこに働く人間の資質、仕事の裁量、いろいろなことが重なり「役目を終えていた」と思っています。
 いまでは気象庁そのものが「警報を出すだけ」の無責任官庁化していると思います。少人数官署を作るというよりは、木股さんの思いを実現するには「意思決定とそれに必要な情報の地方移管」なのではないでしょうか?その場合の委譲先は「観測するだけ」の気象庁ではなく、意思決定と事前のプランニングも行う市町村の消防あるいは防災行政担当部署の充実だと感じています。気象庁がそこを「指導する」体制も、気象庁の人は災害の現場を知るわけではないので、ほどほどであるべきかと思います。
 とにかく「小さな気象庁出先機関」は「ない」というのが私の実感です。(林能成さん:「三河地震 60年目の真実」の共著者の一人)

・至る所に、著者の気持ち(魂?)が入っており、たいへんすばらしい。
・はじめに→1~3章→おわりに、とスムーズに流れて伝えたいことが充分にわかる。
・効果的な図と興味深い展開が、地震の科学を深く考えさせてくれる。(同級生で高校の先生だった鹿野勘次さん)

■背筋を寒くして読んだ

 宝永地震の記録を読み、三河湾に津波が押し寄せる光景を脳裏に描くときに、きっと、寄せて逃げ切れぬ波の圧力は、狭い最後の地で一気に天に上がり、予想もつかぬ高い津波となり、寺院をさらったに違いない。
 300年の間、この地震と津波のいわれが伝わった話は非常に少ない。宝永地震の被災者が、高台の当地に越してきて、殿さまの温情を忘れないようにという、移住者による藩主への供養が続けられている事くらいだ。
 記憶から抜けていくこの時期での警告書、副題は「我々は生き残れるか!?」だ。
スイッチひとつで防災無線から警戒警報が東京から流れるという。そのような時代でも、食糧、水にガソリン、家族の安全は自分でやらねばならない。予防はできない、自分の身は自分で守らねばならない。
 三十年以内に80パーセントの確率で連動型地震は発生すると予告されて、もう、かなり経った。来月なのか、明日かもしれない。生きているうちに出会わなければよいが、それにしては備えが甘い。詳しくは(古希を過ぎてからの毎日さん:文面から三河西部にお住まいで、近所に歴史津波の記録が残っているようです)

■ まず、本書に溢れる内容(諸般のデータの収集、その解析、学問的解釈、説明、大胆な表現)は、地震とそれに関連した社会現象の理解に誠に説得力があります。

 御苦労に深く敬意を表します。前著「超巨大地震がやってきた」と重ねて読み始めました。地震予知連の生々しい現実は、事の難しさを納得させます。

 現在までに気付いた点は、p187の最後の「有意となるような誤差でない」の真意が、一般の人には理解し難いのではないかと、危惧します。(北大名誉教授:横山 泉さん、まだ論文を投稿され、メキシコの火山に登るなど元気)

■ とてもタイムリーな本だと思います.

 短い間に良くまとめられましたね.内容はわかりやすく,各ページの下段に解説も付けてあって,大変読みやすいです.ポンチ絵ではなくオリジナルの図が豊富に使われており,立派な教科書になっています.(京大名誉教授:梅田康弘さん、南海地震前の地下水の変化を現在も研究中)